7. 不正直な人とは何か。なぜ不正直な人々は救われないのか。

2017-11-24 25

神の言葉

あなたが非常に偽りに満ちているならば、あなたはすべての事柄およびすべての人に関して疑いを持つ、器の小さい心と思考を持っているであろう。このため、あなたのわたしに対する信仰は疑念の基礎に基づいている。わたしはそのような信仰は決して認めていない。本当の信仰がなければ、あなたは本当の愛からはほど遠い。そして意のままに神を疑い、推測するようであれば、間違いなくあなたは最も偽りに満ちた人である。

『言葉は肉において現れる』の「どのように地上の神を知るか」より

正直に生活していない者、人の影では人前で振る舞うのと違う振る舞い方をする者、謙遜、信望、そして愛を示すが、本質的に狡猾で悪賢く神への忠義が全く無い者は、闇の影響下で生きる者の典型的な代表例である。そうした者は、へびと同類である。

『言葉は肉において現れる』の「闇の影響から脱すれば神により得られるであろう」より

あなたは他人が見ることができるように偽りの姿を装い、落ち着いて独善的なそぶりを見せる。自身を守るためにそうするのだ。あなたは自分の悪を隠すためにこれを行い、さらにその悪を他の誰かに押しつける方法を探すことさえする。あなたの心には何という欺瞞が宿っていることか。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第十三章」より

今後あなたの前途において、策略をめぐらせたり、偽りや曲がったことに加わったりしてはならない。さもなければ、その結果は想像を絶するものになるであろう。偽りと曲がったことが何であるか、あなた方はまだ理解していない。あなたがわたしに見せられず、明るみに出すこともできない行動やふるまいは、どれも偽りと曲がったことである。今あなたはこれを理解すべきである。今後、偽りや曲がったことに加わるなら、分からない振りをしてはならない。それは、知っていながら過ちを犯すことであり、さらに罪深いことである。このようなことをすれば、あなたは火で焼かれるか、さらにひどい場合は、自分を滅ぼすことになるだろう。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第四十五章」より

ある人々は何をやるにしても、いつも教会の旗を振っているが、実のところ、それは自分自身の利益のためである。このような人間には正しい動機がない。その人の心は曲がっており偽りに満ち、その人の為すことのほとんどは自分個人の利益を求めるためのものである。この種の人間は神を愛することを追い求めない。彼の心は依然としてサタンのものであり、神の方へ向くことができない。神がこの種の人間を得ることは決してない。

『言葉は肉において現れる』の「神への真の愛は自発的である」より

神は正直な人を喜ぶということを知っておきなさい。神は本質的に信実で、その言葉は常に信頼できる。さらに、神の業には誤りも疑問の余地もない。だから神は、自分に絶対的に正直な者を愛する。……真の信仰と真の忠実さとが内にあるかどうか、神のために苦難を受けたことがあるかどうか、神に心から従っているかどうか、自分の心に尋ねればわかるだろう。もし、そうしたものが欠けているのなら、あなたの心の内には、不服従、欺き、貪り、不満が残っている。心が正直でないから、神に認められたこともなく、光の中で生きたこともない。人間の運命が最後にどうなるかは、正直で赤い血の通った心があるか、清い魂があるかどうかにかかっている。極めて不正直で、悪意に満ち、汚れた魂をもっているなら、運命の記録は人が罰せられる場所に確実におかれている。もし自分は正直だと言いながら、真理に適う行いをすることも、真実を語ることもないとしたら、それでも神があなたを報いてくれるのを期待するのか。それでも神が、あなたを目に入れても痛くないものとして扱ってくれるのを期待するのか。そんな考えは非常識ではないだろうか。あらゆることで神を欺いていながら、どうしてあなたのように手の汚れた者を神の家が受け入れることができようか。

『言葉は肉において現れる』の「三つの忠告」より

わたしの中では、すべてが義であり、不義、欺瞞、曲がったことは全くない。曲がった者、偽り者は誰でも地獄の子である──ハデスで生まれたにちがいない。わたしの中では、すべてが明白である。わたしが達成すると言うことは、すべて達成され、わたしが確立すると言うことは確立され、誰もこれらのことを変えたり真似たりすることはできない。わたしは唯一の神自身だからである。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第九十六章」より

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