12. 「すべてを捨て神に従う」の意味は何か。

2017-11-24 13

神の言葉

あなたは自らの心身と真の愛の全てを神に捧げ、それを神の前に置き、神に完全に従順であり、そして神の心を絶対的に配慮することが出来る。肉でも家族でも個人的願望でもなく、神の家の利益のためである。万事において神の言葉を原則そして基礎とすることが出来る。そのようにすれば、あなたの意図や観点は全て正しい場所に置かれ、神の前で神の称賛を得る者となるであろう。

『言葉は肉において現れる』の「神の実際性に絶対的に服従できる者は真に神を愛する者である」より

あなたは神を信じ、神に付き従っているのだから、心で神を愛さなければならない。自分自身の堕落した性質は脱ぎ捨て、神の望みを叶えることを追い求め、被造物としての本分を尽くさなければならない。あなたは、神を信じ付き従う以上、あなたの持つすべてを神に捧げ、自分の個人的な選択や要求は持たず、神の望みを満たすことを成し遂げるべきである。造られた者として自分を造った神に従うべきである。これは、あなたが元々自分を支配することができず、自分の終着点を決める能力も持ち合わせていないからである。あなたは神を信じる者である以上、聖さと変化を追い求めるべきなのである。あなたは被造物であるから、本分を守り、自らの立場を守り、その本分を超えてはならない。これはあなたを束縛したり、教義によって抑えつけたりするものではなく、ひたすらあなたが本分を尽くすための道であり、義を尽くす人には必ず到達できる、また到達されるべき道である。

『言葉は肉において現れる』の「成功するかどうかはその人の歩む道にかかっている」より

9.あなたの思いは教会の仕事にあるべきで、自分の肉体の将来的展望は脇にやり、家庭問題については決然とし、心から神の働きに自己を捧げ、神の働きを第一にし、自分自身の生活は第二にするべきである。これが聖徒の礼儀正しさである。

『言葉は肉において現れる』の「神の国の時代に神に選ばれた人々が従わなければならない行政命令十項目」より

あなたは真理のために苦難を受け、真理に自分を捧げ、真理のために恥辱を忍ばねばならず、より多くの真理を得るためには、より多くの苦難を受けなければならない。これこそがあなたの為すべきことである。あなたは平穏な家庭生活のために真理を投げ捨ててはならず、一時的な享楽のために、あなたの一生の尊厳や品位を失ってはならない。あなたは、すべての美しく良いこと、また一層有意義な人生の道を追求すべきである。あなたがこのような俗悪な生活を送り、何の目的も追求しなかったならば、あなたは人生を無駄にすることになるのではないか。そのような人生から何が得られるであろうか。あなたは、真理のために肉の享楽をすべて捨て去るべきであり、僅かばかりの享楽のために全ての真理を投げ捨ててはならない。このような人々には、品位も尊厳もなく、彼らの存在には何の意味もない。

『言葉は肉において現れる』の「ペテロの経験──刑罰と裁きに関するペテロの認識」より

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